阪神電鉄「大物駅(だいもつえき)」を降りて南へ徒歩10分のところに、私が前々から興味を抱いていた「大物主神社」が鎮座している。歴史は古く大化の改新の頃建立されたといわれている。645年あたりである。
大物主神社の大鳥居。建立は何時なのかは不明。たぶん昭和初期であろう。
「大物主神社」と刻まれた石塔。裏を見ると昭和12年とある。今から72年前の建立である。
御祭神は大物主大神。後の平治元年(1159)に平清盛が安芸厳島神社の祭神、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の分霊を奉斎。私の5月5日のブログに載せた、川西の市杵島神社の御祭神と同じである。すごい偶然なのかと最初は驚いたが、要するに有名な神社の分霊は、日本中の普通の神社にばら撒かれている事実をはじめて知ったのである。まあ一つ勉強にはなったが。
社の境内に以外や以外「汁醤油発祥の地」の記念碑があった。龍野や小豆島よりも前にこの地で醤油の生産が行われたということに注目したい。
拝殿に参拝し、ふと左手のほうに目を移すと、なんと謡曲史跡保存会の駒礼。
その下には「義経弁慶隠家跡」の石碑があった。この社に義経主従が宿を取ったかどうかは疑問ではあり、社の由緒に言うようにこの地の近くに宿を取ったとするのが正しいのではないかと思われる。
また駒礼には静御前との名残の地がこの近くにあった旨が書かれて、のち塗りつぶされているが、これは謡曲では義経と静はこの地で別れたことになっているがその史実はなく、史実がない以上は名残の地のあろうわけがないということなのである。史実では大物を出航後、吉野山を越える際に別れたのであった。
大物の地名の由来はいろいろあるみたいだが、平安時代に港町として栄えていた尼崎の木材集散地がこの地にあり、この巨材が「大物」と呼ぶようになったという説が有力である。
尼崎は海運の要衝であり、また海の幸にも恵まれた「海土ヶ幸(あまがさち)」とか「海ヶ崎」と呼ばれていた。
このように古くから形成されていた、大物の地に早くから神社が建てられた事は肯けるところで、この神社はおそらく水路を下る人達の守護神になっていたであろうと思われる。
大物主神社よりさらに南へ下がると「大物橋跡」の石碑がある。江戸時代の風景を描写した「摂津名所図会」にこの橋が描かれている。何時から何時まで橋が存在したのかは謎のままであるが、平安時代この橋のあたりは紛れもなく大海原であった事は間違いないであろう。
住所 兵庫県尼崎市大物町2-7-6 電話 06-6401-6069
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