竜安寺からきぬかけの道をさらに西に歩くと、世界遺産である「仁和寺」がある。
今日は朝から世界遺産の「鹿苑寺・金閣」、「大雲山・竜安寺」と見て周り、世界遺産疲れを(そんな疲れ方あったけ?)体に感じながら最後の力を振り絞って「仁和寺」に向かった。
仁和寺は仁和2年(886)に創建が着手され、仁和4年に落慶供養されたと伝えられている。宇多天皇が建てたとされる仁和寺で、自ら出家し法王と称したとされているが、これが法王の称号の最初と言われている。
応仁の乱(1467~77)によりすべての伽藍を焼失し、約160年後の寛永11年(1634)に3代将軍家光の援助により、覚深法(かくじんほつ)親王が再興に努め現在の仁和寺の基礎を築いたとされる。このように皇子や皇孫が寺の門跡となった事から、仁和寺は御室御所と呼ばれるようになったと言う。現在、仁和寺は真言宗御室派の総本山である。ちなみに私の家で年に3回お経を唱えて下さるお坊さんはここで修行された方で、吹田の佐井寺から遠路はるばる来てもらっている。
仁和寺の正門に当たる「仁王門」は徳川家光の寄進により寛永の再興時に建造されたと言われている。
「仁王門」という名称は左右に金剛力士を安置している事に由来していると言う。
「仁王」でないところがミソだ。今にも動き出しそうで、下から見上げているので威圧感が倍増している。この「仁王門}は京都の三大門の一つに数えられており(知恩院の山門、南禅寺の山門)、重要文化財に指定されている。