仕事を終えて帰ろうとした植木屋に、お屋敷の旦那が声をかけてくれた。
「あんた、私のお酒の相手をしてくれるか」
決して嫌いなほうでない植木屋は、恐縮しながらも盃を手にする。よく冷えた「柳蔭(やなぎかげ)」と鯉の洗いで一杯やっていると、旦那が奥さんに、「青菜を持って来なはれ」と注文した。しばらくすると奥さんが旦那の前に両手をついて、
「鞍馬から牛若丸がいでまして、名を九郎判官」それを聞いた旦那が、「義経」と答える。この意味不明のやりとりは夫婦間の「隠し言葉」・・・暗号なのである。
「名を九郎」というのは「菜を食らう」の洒落で、つまりは「菜は食ろうてしまった」という断りの文句なのである。それに答えた旦那の答えの「義経」は「よしよし」の洒落というわけだ。このからくりを教えてもらった植木屋は、夫婦のウイットに感激してしまい、ぜひとも我が家でも真似しようと意気込んで帰宅する。そして、裏長屋の暑苦しい家に帰って、「いま、戻った」と声をかけると、家の中から帰ってきた嫁はんの答えがこれだ。「今時分までどこのたくり歩いてけつかんねん、この
アンケラソ!」
上品なウイットとあまりにもかけ離れたせりふではあるまいか。「青菜」という夏の噺である。「アンケラソ」は「アホ」という意味の罵倒語。辞書を見ると「アッケカラン」と親戚の言葉だと書いてあったが、よく解らない。故桂文枝師匠もこの言葉が大好きで、彼の半生記に「あんけら荘夜話」というタイトルをつけたほどだ。
「アンケラソ」というフレーズは単独で使うことは稀で、うえに「なんかしてけつかんねん」とか「しっかりせんかい」という罵倒の言葉がつき、さらに「この」というつなぎの言葉が必ず入ることになっている。
このブログの愛読者も、むかつくことがあったら海に向かって「あんけらそ!」と叫んでみる事をお勧めする。気分がすっきりするか、力が抜けてむかつきが消えるかどっちかだと思うのだが。