能勢電鉄平野駅を降りて国道173号線を渡り、インド料理屋の脇の一方通行を逆に歩いてしばらくすると、多太神社が見えてくる。徒歩5分くらいか。何故この神社に興味を持ったのかと言うと、先日図書館で借りた「川西の人と歴史」菅原いわお著、創元社
を読み、この著者の菅原氏は、川西市会議員でご自身も川西市湯山台に住まいを持ち、非常に詳しく川西を研究しておられる方で、文章の端々に菅原氏の人柄を強く感じ、多太神社と言う初めて聞く名前に惹かれたのである。
この石の鳥居は明和4年(1767年)に建てられたものである。
目を凝らして見ないと見過ごすところであったが、こういったことに感動を覚える。
これが多太社の社号標石。以前は道に立てられていた物を、本殿改修工事を機にここに移されたそうだ。何でも江戸時代初期までは、村民から「平野明神」と呼ばれていたが、幕府の調査により、平安時代の「延喜式」に記載されている由緒ある「多太神社」であることが判明した。
灯篭の柱に「平野明神」と彫られているのを見つけてまた感動した。
拝殿の奥に本殿がある。
本殿は、妻入りの社殿にひさしがつき、屋根は桧皮葺の春日造りで、本殿の内陣厨子(ずし)内に残っていた墨書から、江戸時代前期の元禄6年(1693)のものと解り、
川西市指定の文化財になっている。現在は、本殿は老朽化を防ぐ為に覆屋内に保護されている。フラッシュをたいて本殿を撮影したが、斗組(ますぐみ)組み物だけは最近塗装された為か目立っている。象さんに見えるがよく見ると伝説上の動物である獏(ばく)だろうか。どういう意味合いがあるのかさらに調べることにする。今日18日はこのあと多田神社にも行って有意義な休日が送れた。