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by nozawahitoshi
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カテゴリ:古寺巡礼
  • 西本願寺 春の京都の世界遺産を訪ねて その10
    [ 2011-05-09 06:50 ]
  • 天龍寺 春の京都の世界遺産を訪ねて その9
    [ 2011-05-04 07:14 ]
  • 下鴨神社 春の京都の世界遺産を訪ねて その8
    [ 2011-04-17 07:26 ]
  • 上賀茂神社 春の京都の世界遺産を訪ねて その7
    [ 2011-04-11 06:56 ]
  • 二条城 春の京都の世界遺産を訪ねて その6
    [ 2011-04-04 06:48 ]
  • 宇治平等院 春の京都の世界遺産を尋ねて その5
    [ 2011-03-28 06:48 ]
  •  東寺 春の京都の世界遺産を訪ねて その4
    [ 2011-03-07 06:50 ]
  • 法隆寺ー中宮寺ー法輪寺ー法起寺を巡る
    [ 2011-02-28 06:55 ]
  • 能勢妙見山へ初詣
    [ 2010-01-05 06:34 ]
  • 小童寺と美女丸伝説  川西市西畦野
    [ 2009-05-11 06:59 ]

西本願寺 春の京都の世界遺産を訪ねて その10

京都の地元民からは、「お西さん」の愛称で呼ばれる西本願寺にやってきた。浄土真宗本願寺派大本山である。JR京都駅から徒歩15分程度と、その利便性は世界遺産の中でもダントツである。が、逆にその身近さゆえ、ついつい通り過ぎがちだったのも事実である。京都に13ある世界遺産のついに10個目である。正式名称は、本願寺派本願寺と言う。

境内東側の御影堂門を入ると、

御影堂がなにやら白いもので覆われて、屋根だけが見える。1636年建立の重文。
「親鸞聖人750回大遠忌法要(だいおんきほうよう)平成23年4月~平成24年1月」とある。大遠忌法要とは、親鸞聖人の50年毎の節目にあたる年忌法要をいう。平成24年1月16日がそれにあたる。つまり、親鸞聖人の命日なのである。一般の人は入れないようである。御影堂の中からなにやらお経のようなようなものが聞こえる。

阿弥陀堂(本堂)。1760年建立の重文。阿弥陀如来の木像がお堂の中央にあるのだが、ここも入れなかった。

参拝会館とその手前にあるのが経蔵。参拝会館は昔、新選組の北集会所(屯所)のあったところである。屯所の建物は、現在姫路市内の本徳寺本堂となっている。

御影堂の前に聳える大銀杏(おおいちょう)。横に広がるその形から「逆さ銀杏」と呼ばれる。銀杏は西本願寺のトレードマークでもある。「お西さんゆうたら、銀杏やろ」と、この辺の人々は言うそうだ。

境内東側のもう一つの門、阿弥陀堂門。御影堂門に比べこの阿弥陀堂門は写真でもわかるように、金ピカの装飾が施されており派手である。

唐門は国宝である。伏見城の遺構と伝わるもので、桃山時代を代表する絢爛豪華な装飾が特徴である。

彫刻の見事さに、日の暮れるのを忘れる事から、「日暮門」とも呼ばれる。門扉には表・裏で合計16頭の鮮やかな唐獅子が鎮座する。

これが西本願寺の外から見た表門である。

写真下部中央の金具に菊の紋章が見えるが、この門がかつて勅使門に使われていたことによるものではないかと思われる。わかりやすく言えば、天皇が出す使者がくぐる門のことである。

「これって、どこかで見たなあ!」とお気づきだろう。実は門の麒麟は、キリンビールのロゴマークに採用されたとかされないとか・・・。

見事な桧皮葺・唐破風、黒塗りに極彩色の四脚門である。何時間見ても飽きが来ないまさに「日暮門」とは、言いえて妙である。

国宝の飛雲閣であるが、写真を撮った瞬間、係員に見つかり「ダメです、写真!」と怒られた。
飛雲閣は電話で事前申し込みしないと拝観できないし、しかも午前・午後各1回、各50人で締め切りだそうだ。さらに、土曜日の午後、日曜、祝日、寺の行事がある日は参拝が出来ない。

「じゃあ、無理じゃんか」とあきらめていたところ、係員がどこかにいなくなった瞬間、その隙をついてズームで盗み撮り成功!
飛雲閣は、金閣、銀閣と並ぶ京都三名閣のひとつで、1階部分がすべて障子で覆われているのは採光はもちろん、敵の侵入もわかりやすいからだとか。
秀吉の建てた聚楽第の一部で、三層からなる楼閣建築であるが、第1層が入母屋と唐破風を配しているように左右非対照になっており、不規則ながら巧みに調和されている。

西本願寺の南側、台所門から外に出ると、その向かいにはクラシックな構えがステキな、龍谷大学大宮校舎の本館が控える。創立311年と、何と京都にある四年制の大学では、種智院大学(828年創立)についで2番目に古い大学(1639創立)なのである。因みに京都大学は1897年創立。
大宮学舎は西本願寺の大教校の講堂として、1879年に建てられ、国の重文に指定され、明治期の洋風建築の貴重な遺構である。西洋建築と日本建築の特徴を折衷したユニークな建物である。

ぐるっと東側に回り、西本願寺の北東側に行くと太鼓楼があった。新選組の屯所の横にある。
元来、尊皇派だったとされる本願寺に対する嫌がらせか、勤行の最中にわざとこの太鼓を叩いて隊士の訓練をしたとか。西本願寺は長州藩との深い縁もあり、何かにつけて西本願寺を頼りにしていた長州藩士達。
新選組が西本願寺の中に屯所を移す事により、幕府と対立する長州藩士達を西本願寺に近づけないという一石二鳥の効果を狙ったものでもあったらしい。
それにしても、拝観料無料で国宝の唐門と飛雲閣が見られたのは、感極まる。龍谷大学大宮校舎や太鼓楼もオマケについてきたし、運気が上がり調子かもしれないなあ。
住所 京都市下京区堀川通花屋町下ル 電話 075-371-5181
境内拝観自由 5:30~18:00  地図

by nozawahitoshi | 2011-05-09 06:50 | 古寺巡礼 | Trackback | Comments(2)
天龍寺 春の京都の世界遺産を訪ねて その9

休みの日の今日は、能勢電鉄と阪急電鉄を乗り継いで、天下一の景勝地として知られる嵐山にやって来た。
その目的は世界遺産である「天龍寺」のお庭である。

嵐山駅のベンチを見て笑ってしまった。「人力車」を模しているつもりなんだろうか、ユニークである。

中ノ島橋(太鼓橋)から嵐山の中腹「嵯峨の虚空蔵さん」として京都では親しまれる法輪寺を見渡す。

嵐山公園はこの時期沢山の観光客で賑わうが、今回の地震の影響があってか、いつもより人影がまばらである。特に外国人が見当たらない。桂川に渡月橋が架かっている。

渡月橋は全長155mを誇る橋である。平安時代に嵐山天龍時のある場所に亀山庭園を持っていた亀山上皇が、曇りのない夜空に月がさながら橋を渡っていくように見えた様子から、
「くまなき月の渡るに似る」と感嘆されたことから、渡月橋と命名されたと言われている。

天龍時の山門に到着。観光地嵐山の喧騒とは一線を画した禅の大刹らしい、厳しく引き締まった空気が流れている。ここは臨済宗天竜寺派の大本山である。

山門をまっすぐ行くと方丈の拝観口である。堂内拝観は100円、庭園拝観は500円要る。
足利尊氏が後醍醐天皇の霊をなぐさめるため、天皇とゆかりの深い亀山離宮を禅寺に改めたのが始まりで、
1339年に夢窓国師が開山して創建されたのがこの天龍寺である。

庫裏へ入り靴を脱いで上ると、真っ先に大きな達磨図の衝立が迎えてくれる。

順路に従い方丈へ。

ここの畳に座り、眺める曹源池とその背景の樹木の庭園は、国の特別名勝第1号で夢窓国師の作庭で、次の書院から眺めるとこの風景がまた変わって見える。

池泉回遊式庭園である。池の石組みは登竜門を表わしている。
嵐山と亀山(小倉山)を借景に、貴族文化と禅好みの手法が溶け合った庭園は、まるで大和絵のような美しさである。桜やつつじ、紅葉の名所としても知られる

広い庭には石楠花(しゃくなげ)や

蘇芳(すおう)の花。蘇芳色というのは黒味を帯びた赤色のことである。

これは何と言う桜の種類なのか?

海棠桜(かいどうざくら)。初めて見る桜である。これって桜なのか・・・?と疑ってしまうほど、桜とは似つかない桜である。

桃色の桜や

赤と白のまだらな桜や

黄色い花の連翹(れんぎょう)など、まさに百花繚乱入り乱れて。

最後は嵐山公園の枝垂桜と、寺を見るより桜を見に来たような今回の古寺巡礼であった。
住所 京都市右京区嵯峨天龍時芒ノ馬場町68 電話 075-881-1235
開門時間8:30~17:30 地図

by nozawahitoshi | 2011-05-04 07:14 | 古寺巡礼 | Trackback | Comments(2)
下鴨神社 春の京都の世界遺産を訪ねて その8

京阪「出町柳」駅から歩いてすぐに糺の森(ただすのもり)に着く。史跡名勝にも指定されている自然遺産「糺の森は、映画やドラマのロケとしても有名である。手付かずの自然が残るこの原生林は、ロケバスを降りたら5分で撮影もOKである。ゆえに、以前は「暴れん坊将軍」のタイトルバックで使用されたこともある。

少し行くと「加茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」の石塔があり、一の鳥居から長い参道が始まる。

下鴨神社の名前を聞いて最初に連想するのは、何といっても官人官女の行列が下鴨神社へ参向する「葵祭」である。毎年5月15日に行われる京都三大祭の一つである。

ここは加茂川と高野川の合流地点。下鴨神社の神域を包む鎮守の森で原生林が残る参道である。奥に二の鳥居が見える。

朱塗りの二の鳥居から奥にやはり朱塗りの楼門が窺がうことが出来る。

楼門前にある社、縁結びの神「相生社(あいおいのやしろ)」の横に植わる神木。2本の木が中ほどで1本に結ばれている縁結びのシンボルで、週末には恋する女子が続々とやってくるらしいが、今日は違った。
しかも、この木が枯れると境内にはまた同じ木が生えるという言い伝えがあり、現在の木は4代目。京の七不思議にも数えられている。

楼門。楼門の{楼」とは二階以上の建物のことである。だから楼門とは二階建て(それ以上の)門ということが出来る。大きな神社にはたいてい楼門がある。八坂神社、清水寺、上賀茂神社、奈良の春日大社、滋賀の日吉大社など。

楼門をくぐると広場があり、その中央に建てられている「舞殿」が目に付く。妙に印象に残る建物である。1628年に建てかえられたもので重要文化財である。

「橋殿」は神事や芸能の舞台として使われる。舞殿によく似ている。

下鴨神社の特徴といえるのが、十二支が配置された小さな七つの社「言社(ことのやしろ)」。干支の守り神としての社は全国的にも珍しい。私は午年なのでこちらを重点的に。

その奥にある拝殿は桧皮葺で神聖な雰囲気が漂っている。

「本殿」(国宝)。下鴨神社は正式には、加茂御祖神社で京都最古の神社の一つ。古代豪族加茂氏の氏神社で、平安遷都後は王城の守護神社として崇められた。
現在では縁結びのパワースポットとして下鴨神社にすごい人気が集まっている。私が訪れた時も3組の結婚式をここで挙げていた。白砂が敷き詰められた広大な境内は、歩いているだけでも心が落ち着くスピリチュアルスポットであると今風に言いたい。
住所 京都市左京区下鴨泉川町59 電話 075-781-0010
拝観時間 6:00~18:00 境内自由 P300台 地図

by nozawahitoshi | 2011-04-17 07:26 | 古寺巡礼 | Trackback | Comments(0)
上賀茂神社 春の京都の世界遺産を訪ねて その7

今日はJR京都駅から市バス9番に乗り、40分ほどで上賀茂御園橋に着いた。バス停からちょっと歩くと神社の巨大な「一の鳥居」が建っていた。
下鴨神社と並んで京都でも最も古い神社の一つである。この地を支配していた豪族、賀茂氏の氏神を祀ったのが起源で、7世紀、天武天皇の時代に社殿が造営された。
正式には「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」といい、雷神を祀ることから厄除けの信仰を集めている。

馬とのかかわりが深い同社には、神様の側に置かれる神馬「神山号(しんざんごう)」がいる。近所の人たちからは「しんめちゃん」と呼ばれ親しまれている上賀茂神社のアイドル馬である。

この二の鳥居をくぐると

正面に、白砂で作られたきれいな「立砂」と呼ばれるものがあった。境内でも一際目を引く大きな円錐形の物体。上賀茂神社のご神体である神山(こうやま)という山に見立てた、神様が降り立つ依代(よりしろ)を表わしているといわれている。鬼門などに撒く、清めのお砂の起源でもある。

そのすぐ奥にあるのが細殿(拝殿)である。細殿は需要文化財に指定されている。

細殿に近接して土屋が建てられている。この建物は1628年に造りかえられたものである。

土屋の横には舞殿が建っている。土屋、舞殿も共に重要文化財に指定されている。

西鳥居の近くにあったコインパーキング、もとい、「自動車御祓い所」厄除けのご利益がある同社では交通安全の御祈願も受け付けているし、神前結婚式も何組か見られた。

「本殿、権殿」の前に朱塗りの鮮やかな楼門が建てられている。他の地味な社殿に比べるとすごく派手で一際目立っている。

楼門の前にある朱塗りの橋は、境内を流れる「奈良(楢)の小川」の支流である小さな谷川、「御物忌川(みものいみがわ)」にかかっている玉橋であり、この玉橋は渡ることは出来ない。
ならの小川は藤原家隆が百人一首で詠んだ歌
風そよぐ ならの小川の 夕暮れは 御祓(みそぎ)ぞ夏の しるしなりける
その舞台になった場所でもある。歌の意味は、風がそよそよと楢(なら)の葉に吹いている。このならの小川の夕暮れは、秋の訪れを感じさせるが、六月祓(みなつきばらえ)のみそぎだけが、夏であることのしるしなのだった。

楼門をくぐり石段を上がると参拝所になっていて、参拝の場所から奥にある本殿と権殿がかろうじて垣間見える。ここは北西にある神山より神が降臨し、鎮座した場所である。1863年に建てられたもので、共に国宝に指定されている。まさに、京都の鬼門を守ってくれるすごい神社が上賀茂神社なのである。
住所 京都市北区上賀茂本山339 電話 075-781-0011
境内拝観自由 P160台 地図

by nozawahitoshi | 2011-04-11 06:56 | 古寺巡礼 | Trackback | Comments(0)
二条城 春の京都の世界遺産を訪ねて その6

今日は前々から是非訪れてみたいと思っていた「二条城」に行った。能勢電車と阪急電車を乗り継ぎ四条烏丸駅で下車。地上に上がり、二条城・金閣寺行きの市バスに乗り

約15分ほどで二条城の東大手門に着いた。屋根は本瓦葺で入母屋造り、棟には鯱が飾られている。

東大手門をくぐりと番所がある。徳川将軍不在の二条城は、二条番所と呼ばれる江戸から派遣された武士によって警備されていた。
二条城は1603年、徳川将軍家康が、京都御所の守護と将軍上洛の時の宿泊所として造営し、3代将軍家光により伏見城の移構を移すなどして1626年に完成したものである。
1867年、徳川慶喜による大政奉還が行われたことで知られるこのお城の正式名称は、元離宮二条城。字の通り天皇の離宮であると同時に幕府にとっての城でもあった。

番所の前を左折すると、伏見城の遺構を移した唐門(国宝)が建っている。唐門は二の丸御殿の正門である。切妻造、桧皮葺の四脚門でその前後は唐破風造となっている。

牡丹に蝶、鶴に大和松と亀、竜虎、唐獅子などの極彩色彫刻が施されていて、感動に値する美しさである。写真を撮っていると、2人の若い女の子が「シャッターをお願いします」と頼んできたので、快く引き受けた。

唐門をくぐると二の丸御殿(国宝)だった。桃山時代の武家風書院造の代表的なもので、将軍による外様大名接見や、大政奉還が行われた大広間がある。狩野派の襖絵や欄間の彫刻など豪華な装飾が施されている。
部屋数は33、畳は800畳余りある。

特に入口の車寄せの欄間彫刻は、表と裏のデザインを変えており、表側には五羽の鳥、松、牡丹、上部には雲、下部には笹を見ることが出来る。

小堀遠州作とされる二の丸庭園は、武家風で石組みが力強く感じられる。

二の丸御殿から本丸御殿にかかる東橋と本丸櫓門。本丸の石垣からせり出している珍しい門である。
入母屋造、本瓦葺で、国の重要文化財に指定されている。

本丸御殿は、京都御苑内にあった旧桂宮御殿を移築したもので、中には入ることが出来なかった。

本丸御殿の石垣と内堀が見事である。

生まれて初めて見る啓翁桜(けいおうざくら)が満開だった。山形県の特産である。

二条城を出て外堀から見た東南隅櫓(とうなんすみやぐら)。江戸時代初期に造られた隅櫓で、1788年の天明の大火で東北隅櫓と西北隅櫓が焼失し、現在は東南隅櫓と西南隅櫓の二つだけになっている。
400年前の歴史の舞台にタイムスリップしたような「非日常」気分に浸ることが出来、大満足である。
住所 京都市中京区二条通堀川西入ル二条城町541 電話 075-841-0096 地図入城時間 8:45~16:00 二の丸御殿観覧時間 9:00~16:00
休城日 12月26日から1月4日まで 7月8月12月及び1月の毎週火曜日(休日の場合は翌日

by nozawahitoshi | 2011-04-04 06:48 | 古寺巡礼 | Trackback | Comments(2)
宇治平等院 春の京都の世界遺産を尋ねて その5

今日は京都にある世界遺産の一つ、宇治の平等院鳳凰堂を一目見ようと生まれて初めて宇治へやってきて、宇治川に架かる宇治橋を渡っている。
朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらわれわたる 瀬々の網代木  
と、権中納言藤原定頼が詠んだ百人一首でも有名な京都府南部を流れる宇治川。琵琶湖南部に発し、しばらくを瀬田川といい、京都に入る手前から、木津川・桂川との合流点までを宇治川と呼ぶ。
また宇治橋は、「瀬田の唐橋」と「山崎橋」と共に、日本三古橋の一つに数えられている。

宇治橋張り出しより東を望む。1184年にここで宇治川の戦いがあった。源義仲と鎌倉の源頼朝から派遣された源範頼・源義経との合戦である。結果、義仲は苦戦を強いられ北陸へ逃亡するが、あえなく顔面に矢を受けて討ち取られる。

その横には紫式部の像があった。「夢浮橋(ゆめのうきはし)」は源氏物語の「宇治の十帖」の最後五十四帖の第10帖にあたる。

そこから少し歩いたら、宇治の平等院に到着。平等院鳳凰堂の右側の翼廊から順路が始まる。

阿字池の中島に建てられた鳳凰堂。中宮は入母屋造り裳階付き。昔から慣れ親しんだ10円玉のデザインである。宇治は数多くの平安貴族たちが別荘を建てた地である。平等院もその一つで、関白藤原道長の別荘(昔は別業と呼んでいた)「宇治殿」を道長の没後の1052年、その子頼通が仏寺に改めたのが始まりである。当時は仏法が廃れ、世が乱れるという「末法思想」が社会に浸透し、極楽往生を願う浄土信仰が広まっていた頃。

そこで頼通は翌年、西方の極楽浄土をこの世に再現しようと鳳凰堂を建立したのであった。

まるで鳳凰が羽根を広げたような、左右対称の均整の取れた美しさは、やはり世界遺産にふさわしいものだとあらためて思った。

鳳凰堂の屋根に立つ鳳凰の姿に、どこかで見たことがあるなあと気が付いて、財布から1万円札を取り出し確認する有様。ただしこれはレプリカで、本物は平等院ミュージアムに展示されている。

こちらは左側の翼廊。その近くにある平等院ミュージアムに入るが、当然ここは写真撮影厳禁。51躯あるという国宝の雲中供養菩薩像は、それぞれ楽器を手に個性豊かなポーズをとり、それら一つ一つを見ているだけで極楽の音楽が聞こえてきそうで、大変興味深かった。その他国宝の鳳凰一対、国宝の梵鐘、平等院に伝わる仏像や宝物類が展示保管されていて、平安文化の華やかさを彷彿とさせるなかなか見応えのあるモダンなミュージアムだった。これだけの国宝が揃うお寺は少ないと思う。

ミュージアムを出ると梵鐘があった。しかしさっきミュージアムで国宝の本物の梵鐘を見ているので、誰もレプリカをカメラに収めようとはしない。これも記念だとばかり、シャッターを押す。

「音の三井寺」「銘の神護寺」「姿形の平等院」と謳われる「天下の三名鐘」の一つだそうだ。

平等院を見終わったあと、また宇治橋を渡って京阪宇治駅に向かう。
それにしても宇治は京と奈良を結ぶ交通の要衝でもあるが、歴史に出てくる川ということでは、宇治川がダントツである。壬申の乱、宇治川の先陣、源三位頼政の橋合戦、承久の乱など、枚挙に暇がないといっても過言ではないだろう。
住所 京都府宇治市宇治蓮華116 電話 0774-21-2861
平等院 8:30~17:30 平等院ミュージアム 9:00~17:00 地図

by nozawahitoshi | 2011-03-28 06:48 | 古寺巡礼 | Trackback | Comments(2)
 東寺 春の京都の世界遺産を訪ねて その4

前々から是非行きたいと思っていた、京都にある真言宗の総本山「東寺」。正式名称は教王護国寺をめざして、能勢電車、阪急電車と乗り継いで四条大宮駅にやって来た。春とはいえ、大阪と違って京都はまだ寒いのである。温度差を感じる。

駅前のバスターミナルから市バスの207番に揺られる事、約10分。

東寺東門前駅で下車。東門は最古の四脚門であるが不開門なので、その北側にある慶賀門(重要文化財)から入ると、

まず、大師堂が姿を現す。大師像を収めたところを真言宗では御影堂(ごえいどう)という。他宗ではこれを「みえどう」と呼ぶらしい。
ここは弘法大師が実際にお住まいになられていたお堂である。また国宝でもある。

大師堂で弘法大師のおことば(今月のおことば)を有難くタダで頂戴する。心に染み渡るおことばである。

その横では、桜の花が早くも咲いていた。

四分咲きくらいだろうか、とても可憐で美しい。弘法大師のおことばと重なって、胸にジンと滲みる。

大師堂の東側に食堂(じきどう)がある。ここはもと、僧侶の食堂であったところ。

本尊の千手観音、地蔵菩薩、聖僧文殊の各木像(国の重要文化財)を安置している。

食堂の南側、つまり伽藍の中央に講堂がある。寺院伽藍の基軸をなす建物である。真言密教の修講の道場で、内陣、外陣からなる。中には、大日如来を中心に金剛界五仏が並び、五仏の向かって右に五菩薩、左に五大明王、その周囲に四天王、梵天、帝釈天の21体の彫像によって構成され、密教浄土の世界が表現されている。長時間眺めていてもまったく飽きが来ない。見事としか言いようがない。カメラ小僧の私としては写真が撮りたくても撮れない、まさに「隔靴掻痒」状態が続くのである。

さらに講堂の南側には金堂。入母屋造りの国宝の堂宇で、構造は天竺様と和様を加味した折衷様式。
奈良東大寺仏像殿にならい、正面中央の軒を高くしたところに窓を設けた、桃山時代の代表的建築である。
中には薬師三尊、つまり薬師如来、日光菩薩、月光菩薩を安置している。平和で安泰であれ、と願う桓武天皇の思いだったのかも知れない。

今回のメインイベントの五重塔。
日本に現存する五重塔の中では、最も高い約55mを誇り、国宝に指定されている。木造の塔で。古都京都の象徴である。幾度かの焼失と再建を経て、現在の塔で5代目なんである。

下から眺めると、圧巻である。こういうシーンは私好みなのだ。

桜の花と五重塔は絵になる。相輪もまた素晴らしい。初層内部の特別拝観をやっていたので、「これはラッキー」と胸躍らせて中に入らせてもらった。そこには密教空間が広がっていた。
五重塔の各層を貫いている心柱は、大日如来に見立て、その周りを四尊の如来、八尊の菩薩が囲んでいる。
さらに10方の柱に金剛界曼荼羅が描かれている。これは見応えがあった。東寺の仏像はどれもこれも本当に素晴らしいのもであった。また是非訪れたいと思っている。
住所 京都府京都市南区九条町1 電話 075-691-3325
開館時間 9:00~16:00 料金500円 春の特別拝観800円 地図

by nozawahitoshi | 2011-03-07 06:50 | 古寺巡礼 | Trackback | Comments(2)
法隆寺ー中宮寺ー法輪寺ー法起寺を巡る

法隆寺といえば、この俳句を反射的に思い出す人が多いのではないだろうか。
柿くえば 鐘がなるなり 法隆寺  正岡子規
「法隆寺の門前の茶店で休み、そこで柿を食べていると、寺から鐘の音が響いてきた。あたりの静けさとあいまって、秋ののどかさが感じられるなあ」という情景を詠んだ、超有名な俳句である。
前置きはさておき、今日は世界に誇る文化遺産を訪ねて、JR関西本線(大和路線)の法隆寺駅に電車に揺られてやってきた。駅から北に向かって歩いていくと、バス停法隆寺前の松林の入口があった。

寺の正門である南大門を大きな期待を持ってくぐる。

感動する瞬間である。見えてきた、日本で初めて世界遺産に登録された法隆寺の展望が。左が釈迦の舎利(骨)を安置した国内最古の五重塔。最古というのが素晴らしいのである。長い相輪が印象的である。真ん中が中門で、木に隠れている右のあたりに金堂がある。

五重塔。法隆寺を代表する建物の一つで、34.1mの高さ。安定感を与えるために上の階ほど面積が狭く造られており、5層目は初層の半分ほどしかない。しかし緩やかな弧を描き、まるで鶴が羽根を広げたように優雅で美しい。

金堂。聖徳太子の冥福を祈って造られたという堂で、法隆寺の中でも特に古い建物の一つである。また、内陣に安置されている、日本最古の四天王像も有名である。2層の屋根が地を覆うように広がり、並び合う五重塔に劣らぬ存在感がある。

上層の高欄は卍崩しと呼ばれるデザインで、四隅の深い軒の支柱には龍の彫刻が施されている。

経蔵。現在は百済の学僧、勧勒僧正像を安置しているが、もとは経典を収める堂として建立された。

大講堂。仏教の学問を研鑽したり、法要を行ったりする施設。ここから見上げる五重塔も美しい。

夢殿。東院伽藍の中心的な建物で、現存する八角円堂の中では日本最古のもの。

中宮寺。聖徳太子の母、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇女の尼寺である。昭和43年に建立された新本堂。寝殿造りの形式にのっとった美しい建物である。本尊の木造弥勒菩薩像は、飛鳥時代後期の作。かすかに首をかしげて半跏思惟(はんかしい)の優美な姿にうっとりさせられる。

ここから見える夢殿の宝珠の形は、創建当時のものである。

中宮寺を出て北に向かうと、道標があった。

法輪寺(ほうりんじ)。ここまで来るとあたりは田園風景が広がり、観光客はばったりと途絶える。のどかな斑鳩の里に立つ古刹で、622年に聖徳太子の子、山背大兄王が父の病気回復を願って建立した寺。昭和19年に落雷により焼失し、現在のは、作家の幸田文氏らの尽力により昭和50年に再建されたもの。

法起寺(ほうきじ)ここまで来ると観光客が一人もいなくなる、ざまあみろだ。しかし、法隆寺同様世界文化遺産に指定されている名刹で、聖徳太子建立の7ヵ寺の一つなのである。大学時代に何度も来ているので懐かしい。この三重塔は706年に建立されたもので、日本に現存する三重塔の中では最古のものである。
法隆寺の五重塔と同じ卍崩しの高欄や、ギリシャやローマの建築にも共通する、やや膨らみのある、中学の美術の授業で習った事のある「エンタシス」を持つ柱など、注目すべき点が多い。
私は法隆寺の喧騒よりも、誰も歩いていない斑鳩の里に、ぽつねんと建つ法輪寺や法起寺に何時間もじっとたたずんで耳を澄まし、次元を超えて聖徳太子の乗る馬のひづめの音が、ひょっとして聞こえてこないだろうか?などと瞑想にふけるのが大好きなんである。

by nozawahitoshi | 2011-02-28 06:55 | 古寺巡礼 | Trackback | Comments(4)
能勢妙見山へ初詣

能勢妙見山へ初詣に行った。妙見山は兵庫県川西市、大阪府豊能郡豊能町、能勢町にまたがる標高660mのこの山の頂に、日蓮宗の寺院・妙見宮がある。今から1250年前の奈良時代に行基が開いたと伝えられ、その後、能勢一族の祖といわれる能勢頼次が妙見菩薩を祀り、能勢氏の守護神とした。
ここが入り口の大鳥居で、その右側には能勢頼次の銅像がある。

彼は摂津源氏の流れを汲む一族で、天正10年(1582)の本能寺の変では明智光秀側に加勢し、豊臣秀吉に政権交代すると備前に潜伏し、秀吉の死後また出て来ては関が原の戦いで東軍として功を立て、能勢の所領を回復した、まあ何と言うか「波乱万丈」な人生を送った人なのである。
彼の墓は能勢家の菩提寺である清普寺(せいふうじ)大阪府豊能郡能勢町地黄にある。

今では霊験あらたかな「能勢の妙見山」の呼び名で親しまれ、学問、心願、交通安全(私はこれ)、五穀豊穣などを願う多くの参拝者がこの緩やかな坂を上って訪れる。

信徒会館「星嶺(せいれい)」。このあたりまで上ってくると美味しい北摂の空気がたらふく吸うことが出来る。
星嶺は、この妙見大菩薩の降臨をイメージし、信仰のルーツである「星」と能勢家の家紋である「矢筈」をモチーフにデザインされている。

ここは日蓮宗の関西唯一の霊場で、関西身延真如寺の境外仏堂となっている。将棋で有名な坂田三吉も、ここ一番の勝負の前には妙見大菩薩をこの本堂で拝んだという話も有名である。

大阪の人間にとってはとっても馴染みの深い山なのである。さっそくおみくじを空っぽの財布の中からなけなしの100円小判を出して買い、今年の運勢を占ってみる。

「上中吉」と出た。おみくじは寺社によって内容もいろいろあるみたいだが、普通は12段階に分けられている事が多い。そして、大吉→中吉→小吉となるが、この上中吉ってのは一体ナンなんだ!

「妙見信仰」は北斗七星信仰からきていて、寺はもともと真言宗御室派なんだが日蓮宗とも深いかかわりがある。おまけに熊野神社信仰とも関わりがある。「妙見さん」としたのは寺のイメージのある「山」を避け、争いを避けるために「さん」付けした庶民の知恵だったのかもしれない。

人影まばらな奥の院に行く道にうどん屋があったが、いくら「非日常」を指針とする私でも「ここはだめだろ」という事で入るのを止めた。こんな人通りの悪いうどん屋の味は大体わかるからだ。
この建物も昔は遠いところから来る多くの参拝客が押し寄せたのだろう。耳を澄ませばその当時の参拝客の喧騒が聞こえてくるような気がしてならない。
住所 大阪府豊能郡能勢町野間中661 営業時間 24時間 地図

by nozawahitoshi | 2010-01-05 06:34 | 古寺巡礼 | Trackback | Comments(0)
小童寺と美女丸伝説  川西市西畦野

豊能図書館で「清和源氏の礎」という本を借りてきて、その本の中の美女丸伝説に心を打たれ、実際に小童寺(しょうどうじ)に行ってみる事にした。能勢電鉄山下駅に下車すると、真夏日のような熱さが私を襲った。

山下駅から西南の方角へ歩く事15分で、堂田というところに着いた。道標が出ていて一安心。

迷いながらも5分ほどで小童寺の入り口に到着。掃除が行き届いていて、きれいなお寺である。

階段を上ると、忠孝山小童寺の本堂に着く。

本堂の裏には、美女丸、幸寿丸、藤原仲光のお墓があった。

この小童寺には悲しい伝説が残されている。 (川西市ホームページより抜粋)
10世紀に多田院(多田神社)を建立した源満仲は、子供の「美女丸」を僧侶にするため、中山寺(宝塚市)へ修行に出しました。しかし、美女丸は武芸のまね事ばかりして遊んでいました。美女丸が15歳になったある日、満仲は修行の成果を尋ねました。和歌や管弦はもとより、経文も読む事ができないのを知った満仲は怒り、重臣の藤原仲光に「美女丸を切れ」と命じました。
主君の子の命を奪う事ができず困り果てた仲光の姿を見て、仲光の子、幸寿丸は「わたしが身代わりに」と
合唱し、まぶたを閉じました。仲光は流れる涙をこらえ、わが子を切り、美女丸をひそかに比叡山(滋賀県)に送り出しました。
後にこれを聞いた美女丸は、修行に励み源賢僧都(げんけんそうず)となり、(自分の身代わりに命を絶った)
幸寿丸のためにこの「小童寺」を建てました。春には桜が、秋には紅葉が伝説を彩ります。

お墓の左側には、室町時代後期といわれる「無縫塔」と「十三仏板碑」がひっそりと佇んでいた。

さらにその左側には、渡辺綱(わたなべのつな)953~1025年の墓があった。この人は平安時代中期の武将で、源頼光四天王の筆頭である。大江山の鬼退治でも有名である。

さらにその奥には御廟があった。

小童寺は高台にあり、畦野、平野が見渡せる。
幸寿丸の辞世の歌
 君がため いのちにかへて後の世の やみちをてらせ 山の端の月
15歳の若者が作った歌とは思えぬ、素晴らしい出来栄えである。

by nozawahitoshi | 2009-05-11 06:59 | 古寺巡礼 | Trackback | Comments(0)