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カテゴリ:神社を訊ねて( 24 )


神社を訪ねて その24 蒲田神社      東三国

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                                                                   今日は地下鉄御堂筋線・東三国駅から歩いてすぐの蒲田神社(かまたじんじゃ)を訊ねた。
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本殿裏には「蒲田千年楠」が凛と巨大な影を作るように立っている。
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それよりも驚いたのが切り株の上に祠が乗せてある、巨大な御神木の切り株であった。
蒲田神社(かまたじんじゃ)由緒略記
宇賀御魂神(うがのみたまのおおかみ)は伊勢の外宮(豊受大神)または稲荷大神と異名同神で、五穀をはじめ食べ物や衣服のもととなる蚕や屋船(建造物)など、衣食住を司り守護される。
別雷神(わけのいかづちのおおかみ)は京都賀茂別雷神の御名を(上賀茂神社)とも申し土地開拓守護と雷の御神威により火鎮の厄除守護神と仰がれている。
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祭襠日
春まつり 四月二十四日
秋まつり 十月二十四日
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別雷神(わけのいかづちのおおかみ)勧請の古伝は、人皇第六代円融天皇の天禄年間、社伝に依ると藤原時代前期天禄の頃、播州室明神は京都の上賀茂の社の御分霊をお迎えし、播州の国へと船旅にて当地通過の臍、つむじ風に遭遇のため、当社で「風待ち」をされた。その御縁で当地にも勧請申し上げお祭祀申したとここに伝える。
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御社名と地名、そして大樹の杜
足利時代(南北朝)に入って、当地を仏生院の村と称し、当社は字(あざ)室(むろ)にあり、「室の社(むろのやしろ)」と、また「稲荷社」とも呼ばれていた。明治に入り明治四十二年より大字・蒲田の字から「蒲田神社(かまたじんじゃ)」と号す。
現在も元気に茂る千年楠(樟)の大樹
樹齢千年と伝える一株と六百数十年の株、他、数百年の樹々が繁茂して、室を覆い昼なお暗い境内であったと言い伝わっているが、今はその楠も減りずいぶん明るい境内になっている。
住所 大阪市淀川区東三国2-18-12 地図

by nozawahitoshi | 2010-05-31 07:01 | 神社を訊ねて | Comments(0)

神社を訊ねて その23 高瀬神社      守口市馬場町

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今日は前々から気になっていた、守口にある「こんもりした森」のようになっている不思議な場所があるので、立ち寄ってみたら何とそこには神社があった。京阪土居駅の東南約300m、駅前から南に向かう商店街が大通りに抜ける角に「高瀬神社」が鎮座していたのである。図書館で調べたところによると、古くこの辺りは高瀬川と旧大和川が運ぶ土砂が堆積した低台地状の土地だったといわれ、大阪府全志(1922年)には、
「本地は古来茨田郡に属し、もと高瀬郷内の小高瀬荘に属し、世木村。大枝村・馬場村が明治18年合併して高瀬村と称す。旧郷名は和名抄に茨田郡高瀬とあることから、高瀬の里と里を巡る川を高瀬川・高瀬の淀と呼び、古来から歌枕として名高い」
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延喜式の河内の国茨田郡五座のうち、「高瀬神社」とある式内社である。延喜式。式内社である事から見て10世紀以前からの古社であるが、社頭に掲げる案内には、
「この神社は延喜式神名帳に記載されている由緒ある神社で、祭神は天御中主命(あめのみなかぬし)。旧世木・馬場村の氏神。天正年間(1573-92)に織田。三好の兵火で社殿焼失するも、その後再建。現在の社殿は江戸中期頃の造営」とあるだけで、創建時期・由緒など記載がない。
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境内には和歌の神刻した石碑が2基立っているが、1基は彫りがはっきりせず読み取れない。
さしのぼる高瀬の里のいたずらに 通う人なき 五月雨の頃   衣笠内大臣
(衣笠内大臣とは藤原家良1192~1264のことで、続古今集撰者の一人)
平安時代のこの付近は、交差する川の淵や瀬の趣き、淀みに繁る水草、水鳥の風情、里の風情など、詩情豊かなところであり、歌人文人の旅遊の地として多くの和歌が詠まれたところであったらしい。
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神社正面は南側のロータリーに面し、参道奥には拝殿が鎮座していた。
高瀬神社は古代の難波京(現在の大阪市)の表鬼門(東北・艮)の地に位置するところから鬼門の守護神として重責を果たしてきた。当時この付近は長柄船瀬という大阪湾の東端の港で、当地方は住吉大社の領有地と考えられていた。
また室町時代中期に河内の榎並に起こり、やがて五流能の金春に吸収された榎並申楽(能楽の源流)の芸道者から、当社は手厚い信仰を受け、芸の上達を祈願されたもので、能楽と高瀬神社は深い因縁に結ばれているのである。
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境内は太陽の光が高い御神木でシャットアウトされ、外はものすごくいい天気なんだけど、この暗さにまさに神が宿ると言っても過言ではないくらいだ。かつての当社前には、高瀬川が流れていたというが、今は暗渠化し、社前は交通量の多い幹線道路と化し、かつての風情を偲ぶよすがはない。道路をはさんだ向かい側のロータリーには「高瀬川跡」の記念碑が立ち、周りは川を模した石組みをもつ植え込みとなり、風情のない石橋が架かっている。そこは「高瀬町」という名前が付いているのがなんとなく納得できる。この近所にダイビング仲間の和ちゃんの実家があることを思い出した。彼女も子供時分はこの神社の祭りで金魚すくいなんかやったのだろうか?
住所 大阪府守口市馬場町1-1-11 地図

by nozawahitoshi | 2010-05-16 08:18 | 神社を訊ねて | Comments(6)

神社を訊ねて その22 鼻川神社      西淀川区花川

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ゴールデンウイークは読書三昧で過ごし、身体がなまってきた今日は電車を3本乗り継いで、JRの塚本駅で下車。駅からまっすぐ淀川へ出て、堤防沿いを西に15分ばかり歩いたところにある「鼻川神社」にやって来た。
住所は花川であるが、社名は鼻川なのである。ところで、何で地名は花川で神社が鼻川なのかというと、
神功皇后(仲哀天皇の皇后、応神天皇の母)が三韓討伐前にこの地に立ち寄られ、地名を尋ねたが、当時(1~2世紀頃)無名の地であった。その時、ここの地形が鼻が飛び出しているように見えたから、鼻川と名づけたという。昔の淀川は今のようにまっすぐ気味でなく、くねくねと曲がっていたものと思われる。
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そして橋を渡って(この橋は何でこうなっているのか不思議)、
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拝殿へ進む。
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淀川と平行して鎮座されており、北東向きであるが、便宜上東向きとしておく。大きな堤防が見える。車も結構走っている。
神功皇后からありがたく名前を頂戴した村民は、その後ゆかりの地に堂宇を建て、神功皇后を祀るのであるが、後に対岸に住んでいた住民が海老の宮から素盞鳴尊の神をお呼びした。海老の宮というと「海老江八坂神社」の事である。地図を見ると、確かに淀川を挟んで北と南、しかも近い。
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それ故、御祭神は神功皇后と素盞鳴尊のダブルになっている。
明治30年、淀川の付け替えがあって、その時姫島神社に合祀されたが、その後の住民の努力により大正13年に晴れて独立した神社となった。
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かつて淀川には西成大橋という橋が架かっていたようだが、実は現在の淀川大橋だとか。
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拝殿の左脇に鎮座していた半魚と獅子。まことにユニークなので、笑っちゃいそうだった。
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朱の鳥居はお稲荷さんの証。こちらは鼻川稲荷神社。
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ぐるっと廻って裏側へ。北側は駐車場になっていて、入り口に注連柱が立っていた。
帰りは阪神電車の姫島駅まで歩いた。夕方から私の畏友のおごけんさんと三宮で飲み会が待っているのであった。
住所 大阪市西淀川区花川2-1-12 地図

by nozawahitoshi | 2010-05-05 08:55 | 神社を訊ねて | Comments(2)

神社を訊ねて その21   神崎須佐男神社          尼崎市神埼

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ゴールデンウイークの初日である今日、電車や市バスを乗り継いでやって来た。神崎停留所より西へ徒歩約3分の、神崎浄水場の近くに「神崎須佐男神社」は鎮座していた。
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尼崎市内には須佐男神社は20社余り鎮座している。
尼崎は海ヶ崎、海士ヶ幸などと昔から呼ばれていて、海との関わりが深い海岸地域で、かつては神崎川をはじめ、諸川の洪水に苦しめられていた。出水時の人足の制度が出来ていたという。このようなこともあって、八坂系の神を勧請。水神と疫病退散の神として崇敬して来たのである。
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昭和48年、前社殿の老朽化に伴い、近代的な社殿に改築された。
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またまた、見つけてしまったのである。常夜燈に刻まれた「延享3年(1746)」。江戸時代の国学者、和学講談所を開設した塙保己一(はなわ ほきいち)が生まれた年である。
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狛犬の土台の裏側に刻まれた「文化7年(1810)」。大阪で蘭学塾「適々斎塾」を開いた緒方洪庵がこれまた生まれた年なんである。
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境内入り口には夫婦銀杏の木や御神木が鬱蒼と茂り、まさに「サウンド・オブ・サイレンス」の世界。
神社巡りは歴史散歩にもなって楽しいので止められません。
住所 兵庫県尼崎市神埼11-23 地図

by nozawahitoshi | 2010-04-30 06:53 | 神社を訊ねて | Comments(0)

神社を訊ねて その20 福島天満宮        新福島

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今日は新福島で飲み会があるのであるが、その前に以前から気になっていた「福島天満宮」に訪れた。鳥居は新しいが、1997年(平成7年)の阪神大震災のとき片方の柱が破損し、危険なためその年の12月に新しく立て替えられたものである。
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手水舎。
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本殿。主祭神は菅原道真。例大祭(秋祭)は10月21日。
社伝によれば、901年に菅原道真が、藤原時平により九州大宰府へ配転をさせられた際、当地の里人、徳次郎が旅情をなぐさめたことをいたく喜ばれ、このあたりを餓鬼島と呼ばれていたのを福島と名づけられた。
後年、菅原道真が大宰府で失意のうちに死亡したのを聞いたこの地の里人らが、907年に小祠を建てたのが起源とされている。
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吉高稲荷神社。
福島天満宮は福島三天神の「上の天神」という別名がある。中の天神は下福島公園の横にあったが、第二次世界大戦の空襲で消失したため、当社に合祀された。
下の天神は、福島区玉川1-4-5にある現在の天神社。
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勇神社・野見宿祢神社・事平神社・安広神社・林神社。
福島天満宮は、第二次世界大戦のときに境内に11発の焼夷弾を受けたが、不思議にも全弾不発で、現在の姿を残している。なにわ筋に面したところにあるが、一歩中に入ると木々は多く残り、静かな佇まいである。
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今日は「はなくじら」で秘密のアッコちゃんたちとの飲み会なのである。
住所 大阪市福島区福島2-8-1 地図

by nozawahitoshi | 2010-04-18 07:35 | 神社を訊ねて | Comments(2)

神社を訊ねて その19 茨木神社・天石門別(あまのいわとわけ)神社 茨木市

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作家・劇作家の井上ひさし氏が9日夜お亡くなりになられた。75歳だった。「ひょこりひょうたん島」「吉里吉里人」その他書けば枚挙に暇がないくらい多くの作品を残された私にとって偉大なお方だった。そこで、井上氏のご冥福をお祈りするために休みの日の今日は天気もいいので、阪急電鉄京都線「茨木市駅」で下車し、西へ10分ほど歩いた茨木神社へ今日はやって来た。社地は元の茨木城の跡地にある。この鳥居は茨木城東門の鳥居にあたる。茨木神社は茨木神社と式内社で摂社の天石門別神社(あまのいわとわけ神社)とがある。
天石門別神社は古くは宮元町にあったといわれるが、後に現在地に奉還された。                                            
茨木神社の祭神は
建速素盞鳴尊、天兒屋根命、誉田別命

天石門別神社の祭神は
天石門別命(アマノイワトワケノミコト)=天手力男命(アマノテリキオノミコト)、
天宇受売命(アマノウズメノミコト)、豊国神、東照神

16世紀後半の天正年間には牛頭天王(ゴズテンノウ)が祀られるようになる。牛頭天王は織田信長の生土神(ウブスナノカミ)で、信長が神社仏閣を焼き打ちした時にも、牛頭天王を祀る神社はその難を免れた。そのようなことから牛頭天王を祀り、これが後に茨木神社となった。
茨木神社の社殿の欄干宝珠に元和8年(1622年)と銘があるように、江戸時代初期に社殿が造営され、茨木の氏神として奉斎するとともに、天石門別神社は地主神として、茨木神社の北側に、別宮または奥宮と称して祀られた。
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茨木城は建武年間(1334~1336年)に楠正成が築いたと伝えられ、城主はしばしば変わったが特に有名な人物は中川清秀と片桐且元である。
城郭の位置は現在の茨木小学校付近に本丸があり城郭の跡は残っていないがわずかに茨木神社東門が茨木城の「搦手門」を移築したものとされている。
その他、大手門、殿町、本丸などの地名や町並みに残るT字路がかつて城下町であったことをあらわしている。
 
町名
大手門→大手町?
殿町→なし(今の片桐町茨木小学校南から梅林寺あたり)
本丸→なし(今の片桐町茨木小学校北から9・10番地あたり)
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手水舎↑
さすがに社務所もあり、龍の水口、水も満たされ、杓、手拭もある。
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茨木神社拝殿はなかなか立派である。
 中世以降の茨木村の氏神。
 本殿 流造桐板葺
 拝殿 権現造桐板葺
 例祭 7月14日、10月10日
     6月30日 茅の輪くぐり
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茨木神社本殿の真後ろに鎮座している、天石門別神社。
中世以前の茨木村の氏神。明治12年郷社。
茨木神社本殿の真裏にある。
二間四方、銅板葺、立床、大鳥造だそうだ。昭和49年建造。
いつも酒樽が積まれている。やはり力を出すのはお酒が命というところか。
私がいた約40分間、、参拝者の多いこと多いこと。私の生まれ育った吹田の泉殿神社、垂水神社の参拝者の少なさとつい比較してしまった。「吹田の神社、頑張れ!」「ついでにアサヒビールも頑張れ!」とエールを送ったのであった。夕方から新福島で楽しい飲み会が待っている。
住所 大阪府茨木市元町4-3 地図

by nozawahitoshi | 2010-04-11 08:07 | 神社を訊ねて | Comments(5)

神社を訊ねて その18 長洲天満宮      尼崎市

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春の3連休、今日は「隣町散策」で非日常を味わおうと、電車を2本乗り継いでJR宝塚線(東海道線)の尼崎駅で下車し、南に歩いて15分の天満神社、通称「長洲天満宮」を訪れてみた。ここが正面の鳥居である。
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手水舎。か細い水がチョロチョロと今にも止まってしまいそうな様子で流れていた。
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境内は南北に細長く、掃除が行き届いてキレイだった。右が社務所で閉まっていた。
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東門の鳥居の向こうには、宮司さんが住んでいるような家が見えた。
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神社のぐるりを1周してみた。御神木が立派。創建当時(400年前)に植えられたものだろうか?
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本殿。
御祭神の菅原道真公(菅公)は学問の神様として尊崇を集められたお方。道真公が筑紫の大宰府に左遷されて、この長洲の浦に船を停めしばらく安居された時、村の主は道真公から、
人しれず 移る泪は 津の国の 長洲と見えて 袖ぞ朽ちぬる と書かれた自画像をいただいたという。
本殿は一間社流造、桧皮葺で慶長12年(1607)の建立で、桃山時代の貴重な文化財である。
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本殿の傍らにあった常夜燈に刻まれた文字「安政4年」(1857)という年は、福沢諭吉が蘭学塾(後の慶応義塾)を創立させた年である。
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正面の鳥居の横にある、菅公足洗いの池。
大宰府に左遷される道中、船で淀川を下り神崎川を経て大物が浦で潮待ちのため下船し、砂浜を長洲の里に向かい散策している時、道真公の足元が砂で汚れていたので、村の老婆が見かねて池の水で足を洗い清めたのがこの池である。
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長洲天満宮の由来が書かれている。
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帰りは尼崎市バスでJR尼崎駅に行き、三宮を神戸の彼女たちとうろつき、夕方から新開地で飲み会が待っているのである。
このたびは 幣(ぬさ)もとりあえず 手向山(たむけやま) もみじの錦 神のまにまに
という菅原道真の有名な百人一首を思い出していた。菅公(くわんこう)って確か書いてあったように記憶している。道真公が奈良の天皇に会いに行く時作った歌である。
住所 兵庫県尼崎市長洲本通3-5-1 地図

by nozawahitoshi | 2010-03-22 08:26 | 神社を訊ねて | Comments(0)

神社を訊ねて その17 垂水神社      阪急豊津

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3連休の初日はかかりつけのお医者さんに行った後、図書館に行き、隣町散策としゃれ込んだ。今日は私の生まれ育った隣の町、吹田の垂水町にある「垂水神社」にやって来た。阪急千里山線・豊津駅の北西約600M、豊津駅南を東西に通る商店街を西へ、最初の信号を北へ、突き当りを西へ進むと参道に出る。参道を北へ進んだ千里丘陵の南端・垂水岡の麓の小高いところに垂水神社は鎮座する。
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社標に「式内大社・垂水神社」とあるが、今から1100年前の延喜年間(907年)に、律令の施行細則として延喜式が定められた。これにより、神格が認められた神社を式内社(しきないしゃ)という。つまり垂水神社は、式内大社に列せられている由緒ある神社というわけだ。
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常夜灯には明和元年の文字が刻まれていたが、1764年って言えば、江戸の大火があったときで、まさかそこ頃作られたものではないだろう。
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そこから40段ほどの急な階段を登りつめると二の鳥居があり、
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さらにその奥に拝殿が鎮座している。
このあたりには土着の豪族「垂水君」一族が住んでいた。垂水君の祖は、この神社の御祭神・豊城入彦命(とよきいりひこ)の四世孫である賀表乃真稚命(かほのまわかのみこと)と伝えられている。
この賀表乃真稚命の六世孫にあたる阿利真公(ありまこう)がいた。時は、孝徳天皇の時代(大化の改新後)、全国的な干ばつが続き、河川も井泉も枯渇してしまう。そこで阿利真公は高樋を作って垂水の水を宮中にまで導き、天皇のための飲料水を供給したのである。天皇はその功を賞して「垂水公」の姓を賜り、また垂水神社を司らせたのであった。
当時の宮は、難波に置かれていた。ここから難波までは、直線距離にして約10Km。両者の海抜差は5mくらいだそうだ。途中には障害となる山や丘陵はなく、論理の上では、樋を通して水を供給する事は可能だそうだ。しかし、途中には3本の川があり、川の海抜は0mに近く、ここでは、人力による揚水装置(つるべなど)を設けるなどしたであろうという事だ。
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石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも
垂水は古く「石走る垂水」)(岩の間からほとばしるように流れ出る清水)と万葉集にも詠まれている。
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垂水神社の社名・地名である垂水とは、「高いがけから流れ落ちる水」を意味する。
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今、社頭・石段下を左に入ったところに滝のなごりが2ヶ所残っているが、水量減少してチョロチョロと流れるだけ。しかし時たま、水垢離の行場として訪れる行者もあるという。
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この看板がその真実を如実に顕している。
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ここがその行場である。竜の口からか細い水がほとばしってはいるが・・・。
休日の昼間、境内にいたのは私一人。サイモンとガーファンクルの「サウンドオブ・サイレンス」じゃないが、境内は静寂に包まれ、外の喧騒がウソのようであった。
住所 大阪府吹田市垂水町1-24-6 地図

by nozawahitoshi | 2010-03-21 08:24 | 神社を訊ねて | Comments(3)

神社を訊ねて その16 長柄八幡宮      天神橋6丁目

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休みの日の今日は、大阪市営地下鉄(谷町線・堺筋線駅)と阪急電鉄との駅(共同使用駅)の天神橋筋六丁目(天六)駅から北へ徒歩8分の「長柄八幡宮」へやって来た。大阪・天神橋筋商店街のど真ん中の天六交差点から、北東の淀川にかけての一帯を長柄と言う。「ながら」の「な」は魚、「がら」は形で、長柄は「魚の形の島」という意味であった。気のおけない旧友A若さんは長柄八幡宮のすぐ北にある「豊仁小学校」の卒業生であるし、彼の育った家もこの近所にあったと今晩の飲み会で初めて聞いたのである。
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城北公園通りに面していて、ここはかなり交通量が多いので、騒々しい街中の神社という感じ。道路に面していない3面は小さな鎮守の森に囲まれているので、神社の境内に入るとエアポケットみたいな静かな空間がひろがっていた。
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親切にも手水(ちょうず)の使い方が書いてあった。いろんな神社に今まで伺ったが、前代未聞である。きれいな水が湧き出ていた。
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長柄八幡宮は鎌倉時代の永仁4年(1296)、山城の国・男山八幡宮(石清水八幡宮)から神体を勧進して祭ったのが始まりとされ、この付近の氏神として尊崇されている。この長柄八幡宮で有名なのが、大阪随一といわれる「摂州だんじり囃子」で、豊臣秀吉が大阪城を築いた時、その完成を祝ってこの摂州だんじり囃子を奉納したところ、秀吉もお気に入りだったそうだ。
このだんじり囃子は、長柄八幡宮の夏祭(7月第3日曜日)の本宮と前日の宵宮、秋祭の10月17,18日の夕方6時半ごろから9時半ごろまで、境内の舞台で鉦(かね)や太鼓に合わせてだんじり囃子と踊りが披露されるそうだ。
祭神は八幡大神で、配祀は大巳貴大神(大国主)、少彦名大神(すくなひこな)である。
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拝殿。
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拝殿の横にある常夜燈は大正6年5月に建てられている。
1610年に片桐旦元が改築して以来、焼けていない。このあたりは、第2次大戦の大阪大空襲で焼けているところが多いが、ここは免れたようだ。
かつて、中津川と大川(旧淀川)の分岐点にあって、もちろん交通の要衝でもあり、特に海、川を越えて韓半島の文化がたくさん流入していた場所でもあるらしい。なので、韓半島から移住してきた人たちの子孫の中で材をなした人も多く、長柄長者という名まで誕生したという伝承もあるほどだ。
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裏門にあった狛犬。右足の下に子供の狛犬。相当古いものなのだろう。こういったのは見た覚えがない。
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すぐ横の常夜燈をよく観察すると、「文久3年(1862)」とあったので、この狛犬もたぶんその時のものかも知れない。新撰組が結成された年で、またこの年には長州では、高杉晋作が奇兵隊を編成させている。
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境内の真ん中の鳥居に刻まれた「神恩奉謝」「神徳無窮」の文字。神徳無窮(しんとくむきゅう)とは、神様の徳が果てしなく続く事を意味する。私が滞在した小一時間、一人として参拝する人がいなかったのは、この立派な由緒ある神社にしては悲しいことである。
住所 大阪市北区長柄中3-3-1 地図

by nozawahitoshi | 2010-03-14 07:35 | 神社を訊ねて | Comments(2)

神社を訊ねて その15 泉殿宮(いずどのぐう)     阪急吹田

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今日は家から電車を3本乗り継ぎ、阪急千里山線吹田駅から徒歩1分の泉殿宮にやって来た。水に関する職業や芸能関係の信仰が厚く、水商売を発展させてくれる神様として信仰を集めている。
私の生まれ育った家(アサヒビール吹田工場の社宅で今はもうない)から徒歩1分で、昔は泉殿神社という名前で親しまれていた。すぐ近くに吹田市泉町があるが、この町名も泉殿宮からとったものである。
御祭神は建速須佐之男大神(たけはやすさのおのおおかみ)
宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)
もともと泉殿宮は、次田の社という名前で、第56代清和天皇の時、貞観(じょうかん)11年(869)、この地に長い間雨が降らず、かんばつや疫病が流行り、庶民が飢餓状態に陥っていた時、播磨(姫路)の広峯神社から王城鎮護の守り神として、京都の祇園にある八坂神社へご祭神として迎えられた建速須佐之男大神の御神輿が、道中である吹田を通りかかった時にその惨状を見て、大神に祝詞を奏上し、獅子頭を激しく振り、歎きをつげ雨乞いすると、忽然と清い泉が土中より湧き出した。
そしてたちどころにこの地域の住民は渇を免れ、田畑に水が潤って飢えから救われたので、建速須佐之男大神を勧請し、祭神を2つにしたのである。(由緒から私なりに要訳、抜粋)
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大鳥居のそばにある泉殿宮と彫られた石碑は真新しいが、そのほかのものは昭和8年に建てられたものである。
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境内に入ると、水浄はさすが水の神様だけあって、柄杓をかざすと勢いよく水が飛び出すという最新式の仕掛けになっているには驚いた。
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私の生まれ育った吹田の地で、この広い境内はものごころ付いた時から見慣れた風景で、秋のお祭りがやってくると、ここ泉殿神社には数多くの夜店・屋台がひしめき合い、子供の私は身震いするほど喜んだものである。「東京コロッケ」「うなぎ釣り」「パチンコ」「ひやしあめ」「金魚すくい」「焼きサザエ」「お面」「輪投げ」「ヨーヨー釣り」など枚挙に暇がないくらいだ。
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この阿吽形の狛犬も私の生まれる前から鎮座していると思われる。
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戎社。恵比寿大神(えびすおおかみ)
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末社。神産巣日神(かみむすびのかみ)
    奇稲田姫神(くしいなだひめのかみ)
    大国主神(おおくにぬしのかみ)
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泉殿冷泉。いまはもう枯れて出ないが、昭和の初期までキレイな湧き水が滾々と大量に出ていたので、明治22年(1889)、ここの水をドイツのミュンヘンに送り、ビール醸造に適水との保証を得て、この水を東洋初のビール工場、日本ビール(現アサヒビール吹田工場)を建設したという逸話が残る。
吹田三名水の中の一つである。佐井寺の佐井の清水、垂水神社の垂水の滝があとの二つである。
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稲荷社。豊受大神(とようけのおおかみ)
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昭和45年、千里丘陵において開催され、183日の会期中に6400万人を越える日本万国博覧会の会場建設に先立ち、昭和42年3月15日に大地鎮めの神事による起工式が行われ、翌43年3月15日にはここ泉殿宮の宮司が斎主を務め、立柱祭が古式ゆかしく荘重に斎行された。当時、祭儀に使用された元柱(木祖50年杉)は、本殿右側に記念として建てられている。
私がここを訪れ、2時間ほど感慨にふけっている間も、結構多くの参拝者が賽銭を投げ入れ拝んでいる姿が目に映った。10月の2,3日に開かれる秋の祭りに行ってみたいが、その頃にはこの神社のことはもう忘れているに違いないであろう。
住所 大阪府吹田市西の庄町10-1 電話 06-6388-5680 地図

by nozawahitoshi | 2010-02-28 07:18 | 神社を訊ねて | Comments(2)