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ガラスハゼ
![]() ムチヤギやムチカラマツなどのヤギの軸についているハゼ。あまり逃げない。 全長30mm。 「先進各国の景気は回復しつつあるも、ひとり日本はカヤの外」 新聞で読んだこんなニュースはあまり愉快ではないが、ふと「カヤの外」という表現に興味を覚えた。もちろん、「カヤ」といえば、蚊を防ぐために、部屋の中に吊り下げて使う「蚊帳」のこと。この新聞記事を読んでいるうちに、子供の頃、毎晩夏に蚊帳を広げた時の、なんともいえないかび臭さがよみがえってきた。 蚊帳の中に入る時は、一緒に蚊が入ってこないように、蚊帳のすそをパタパタはたいた記憶がある。深夜のテレビなんてない時代、蚊帳の中に家族が一緒になって寝ていることで、なんとなくホッとした気分になったものだ。 そんな蚊帳もいつとは無しに使わなくなってしまった。毎日たたんだり吊ったりと面倒ではあったが、蚊帳には夏のにおいが詰まっていたように思える。そんな蚊帳を知らない子供達は、「カヤの外」がどんなに心細いものか、見当がつくだろうか。 ![]() おじーと一緒に「あり、乾杯!」 ナンヨウハギ
![]() 青と黄色の強烈な色彩で、まさに南洋のイメージの二ザダイ。幼魚は、枝サンゴの周りで群れているが、警戒心が強く、危険を感じるとすぐにサンゴの枝の間に頭から逃げ込む。 通信手段や交通網が発達するにつれ、人との出会いや別れへの思い入れは薄くなっていくものなのかもしれない。昔の人は一期一会の精神でそれを大切にしたのだろう。それほど頻繁に会えない距離の人同士なら、いったん別れると、次は生きているうちに会えるかどうかわからないのだから、別れの時の感情は寂しさもひとしおだっただろう。 「望郷」「カサブランカ」などを例に引くまでもなく、名作と言われる映画には、すべてと言っていいほど印象的な別れのs-ンがついているものだ。「望郷」では、船で本国フランスに帰る彼女を追って、ペペルモコ(ジャン・ギャバン)は捕まる危険を冒してまで港まで来る。「ギャビー」とつい叫んでも、その声は汽笛にかき消されてしまう。 このような別れの感情は、すべて「名残惜しい」ことが原因だ。別れを惜しんで酌み交わす酒は「名残の酒」、もう春なのに降る雪は「名残雪」、国会議員を辞める事を惜しんで流す涙は「名残の涙],日本人は迎春のようにやってくる季節も楽しむが、同時に惜春のように、過ぎ行く季節をも惜しむ。デリケートな民族なのだ。もともとは。 梅雨が明けて夏らしい季節が到来するころ、気になる行事の1つが「土用丑の日(どよううしのひ)」だ。2007年は7月30日が土用丑の日。うなぎを食べる習慣が始まったのは江戸時代からで、由来には諸説あるが、「土用」も「丑の日」もさらに昔から続いている暦(こよみ)の用語である。 今年は中国産のうなぎの悪影響で、うなぎやさんの売り上げは、「うなぎのぼり」とは 行かないだろう。(苦笑) ![]() モンハナシャコ
![]() 「低価格時代とはいえ、一般庶民にとってまだまだ都心の高級マンションは高嶺の花」などと言う。高嶺は高い山の頂のことで、そこにさく花はもっぱら眺めるだけで手に取れないことから、欲しいと思ってもなかなか自分のものには出来ないもののことだ。 「田子の浦ゆうちいでてみれば真白にぞ 冨士の高嶺に雪はふりける」と、高嶺には雪も似合う。昭和39年、東京オリンピックの年に、私は10歳だったが、「お座敷小唄」が流行った。「富士の高嶺に降る雪も京都先斗町に降る雪も」という歌だが、実はこれ、詠み人知らずである。つまり作詞者が不明で、マヒナスターズの巡業中、酒場のホステスが歌っていたのをリーダーの和田弘が拾い上げて生まれた。レコードの売り上げ200万枚を超えた大ヒットだったとか。 今日のブログの内容は中高年しかたぶん解らないと思う。お客様の平均年齢が32歳位なので、書いてから反省してます。あと、内容が難しくてよく解らないという声もなきにしもあらずですが、辞書引くなりしてついて来て欲しいものです。 ゼブラウツボ
![]() まるで他人のことなど無関心に思える都会人も、朝の満員電車が事故で20分も立ち往生してしまうと、あちこちで野次が飛んだり笑い声が聞こえたりと、なんとなく連帯感が生じてくるから不思議なもの。「袖振り合うも他生の縁」といった趣になってくる。 この言葉は仏教に由来するもので、「道で袖を触れ合う程度のささやかなことも、決して偶然ではなくて、前世からの因縁によるものだ」と言う意味。転じて、ちょっとしたきっかけで知り合った人間関係は、大切にすべきだと言う使い方もする。「振り合う」は「触りあう」「すり合う」とも、「他生」は「多生」と書くこともある。 ところで、沖縄でよく耳にする言葉の一つに「いちゃりばちょーでー」がある。 「行き会えば兄妹」と言う意味。そんな言葉を裏付けるように、ダイビングで初めて一緒に潜って、その晩居酒屋で初めて飲んで、初めて合った同士なのに、すぐ打ち解けて10年前からの知己のような気がしてくることがある。この言葉が生きている沖縄は、 「袖振り合うも他生の縁」と言う心が脈々と受け継がれているのだろう。 ![]() 新世界、ジャンジャン横丁は昼真っから堂々と酒が飲めるところである。 ![]() ここは一体どうなってるのか?それにしても派手派手でにぎやかだ! 通天閣は? ![]() ちゃんとありました。さあ、今からカワイコちゃん3人と串かつ屋のはしごだ! 近江屋、横綱、だるまとはしごして、大満足。こんなことしててもええのんかといつも思いますが、たまにはパーっと行かなきゃ人生ではない。 ゴマウツボ
![]() 歌手の井上陽水が「寂しさのつれづれに手紙をしたためて」と歌ったのは四半世紀前のこと。「こころもよう」という歌だった。 このときだって、この言葉を正しく理解していた若者は少なかったのだから、今では 「スレスレって何が?」と言われても仕方がない。でも、これは本来、誰でも知っていなければおかしい言葉だ。 「つれづれなるままに、日暮らし硯(すずり)にむかいて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば」と、吉田兼好の「徒然草」の一番最初に出て来る。 なんとなくすることがなくて、手持ちぶさたで、どちらかといえば物思いに沈んだり、 しんみりとしている心持ちを表している味わい深い言葉である。 現代だって十分に使える。最近の若者の携帯電話の使い方を見ていると、用事がなくてもすぐチャカチャカと数字を押す。こんな時「なんとなく、つれづれなるままに声が聞きたくて」などと言えばさまになるかもしれない。でも「連れって、誰と一緒ナン?」 などと言われても責任は持ちかねる。 ハナビラウツボ
![]() ある落語家が言っていた事だが、最近の人はにおいを極端に嫌って、どこにでも芳香剤を置いて人工的なにおいの中で生活している。これは実に不自然だと。まったく同感だ。風呂場には風呂場特有のにおいがあり、トイレにはトイレのにおいがあって当たり前だ。 自宅のトイレにバラの芳香剤を置いておいたところ、子供がどこかよその家の庭でバラの香りをかいだら、「トイレのにおいだ」と言ったという話がある。不自然な事をするからこんな事になってしまうのだ。 このような不自然な感覚で育てられた人にはまったく理解不能だろうが、昔の人は、というより、ほんの少し前まで、初夏のさわやかに渡ってくる風を薫風(くんぷう)、 すなわち風薫ると形容していた。 これは単なる形容ではなく、新緑の頃にハイキングすると、本当に風が薫ってくる。 私は山男なので何度も体験しているが、実際そうだ。芭蕉の句にもある。 「松杉をほめてや風のかをる音」さすがに芭蕉。見事に情景が浮かんでくる。 ドクウツボ
![]() 今日から1週間はウツボシリーズです。乞うご期待! むかし、大阪商人同志が出合った時の挨拶は「もうかりまっか?」そう言われたら 「いやいや、赤子の行水ですわ」と受けたとか。タライで泣いているーーお金が足りなくて泣いている、と言うことなのだ。タライだの行水だのがわからなくなってしまっていると、この話の意味も解らないだろう。 行水とはシャワーのことだと思っている20歳代がいまや8割だそうだ。これでは タライがどこかへ行ってしまう。行水はタライに湯や水を入れ、体を洗ったもの。 夏は水を入れたタライを日向に出しておくと、いい加減に温まり、それを子供の時 よく利用した。鳥が水場でバチャバチャやっているのも行水だ。よく、すぐ風呂から出ることを「カラスの行水」というが、カラスは他の鳥に比べて短いのだろうか。 小鳥が砂の中で羽をバタバタしている砂浴びも行水の一種で、羽の中にいる虫を取っているのである。 腹筋400回、ダンベル20分 ユキヤマウミウシ
![]() いまどきのお笑い芸人、彼らの話を聞いていて、もっとも感じるのが、ボキャブラリーが貧しいことだ。「すんげえ」「やばい」「サブい」などと、よく聞くとこんなことしか言ってない。これでは笑いを表現することは、とても難しいと思うのだが・・・。 でもこの間、ちょっと感心したのは、やたら胸だけ大きい女性タレントに向かって 「たわわですねえ」と言って笑いを取っている芸人がいた。よくこの言葉を知っていたものだ。そのうえ、使い方も間違ってない。もともとたわわと言うのは、しなうことを言う。たわわに実ると言えば、柿やミカンなどの果実が木にたくさん実って、枝が重みでしなうことを表現している。 だから、バストが大きい人で、なんか重そうということなら、まさしく乳房が「たわわ」に実っているわけだ。もはや死語かもしれないが、「ボイン」などより、たわわのほうが、品性はともかく、あたりの柔らかい言葉だから、ユーモアの範囲になるのではないだろうか。それでも、セクハラと言われたら責任は負いかねるが。 ![]() 脳内メーカーで見た私の脳内。http://maker.usoko.net/nounai/ 愛がぎっしり詰まっているのが解ります。休もわかりますが、なんで秘? 秘密にしていることってないけど、どっかに潜んでいるのかなー。 ムカデミノウミウシ
![]() 昨日の続きになるが、店員が接客に使う奇妙な言葉がある。気になるというか 嫌でたまらない。それは「~のほう」だ。次のような言葉をコンビニで耳にする。 「お箸のほう、おつけしましょうか」「お弁当のほう、温めますか」「おつりのほう、お渡しします」 この「~のほう」は、店員が客よりも下の立場にいるため、お客に対して直接的表現をすると失礼になると考えて、少しぼかして間接的にし、上品な感じや丁寧さを出すために使った商業敬語、アルバイト敬語だ。しかし、連発されると、気持ちが悪い。 まったく不要の言葉だ。 飲食店でも「~のほう」は氾濫している。「お席のほうご用意できました」「お時間のほう、よろしかったでしょうか」「ご注文のほう、お決まりでしょうか」 私は「~のほう」の連発を「あほう症候群」と呼ぶ。これを聞くと、店から出て行きたくなる。皆さんはどうだろうか? ![]() 「鏡の法則」を読んだ。40分くらいで読み終えた。9割の人が泣いたって? つまり、9割の人は、自己中心的で、「ありがとう」の感謝を口にしたことがあまりない人だと思うのです。離婚する人のほとんどがこの9割に入る人と言っても過言ではありません。「鏡の法則」は「人生の法則」でもあり、山のこだまと同じです。 「ばかやろー!」と言えば、「おまえがばかやろーだ!」と帰ってきます。 私のブログのテーマのように「ありがとう、今日も楽しかった」と自分にも、自分を取り巻く人にも常に感謝していれば、幸せな人生が謳歌できるのだ。 私にとってこの本は当たり前のことが書いてあるだけだったが、「ありがとう」の本当の意味を知らない人は大至急読むべきであろう。 お店でものを買っても本当の「ありがとうございます」が1割の店員しか言えていない。真実を知らないから心が入っていない「ありがとう」しか言えない。 ただこの本の中にも、すごくためになることが書いてある。 「人生で起こるどんな問題も、何か大切なことを気づかせてくれる為に起こります。 そして、あなたに解決できない問題は決して起きません。あなたに起きている問題は、あなたに解決する力があり、そしてその解決を通じて大切な事を学べるから起こるのです」 < 前のページ次のページ >
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