
読むのは今回でおそらく3度目になると思うが、何度読んでも変わらぬ感動を味わえる作品。今まで読んだ中で最も好きな小説の一つである。
ただ今回読んでみて一つ驚いたのは、文章が単調で無味に感じられたということ。今までも特に「文章が好き」と思ったことがあるわけではないのだが、このような感想を持ったことは一度も無かったので、正直意外であった。もともと新聞記者であること、新聞小説も多く書いていることでそのような文章になったのだろうか(「文章は正確を以て貴しとしている」という彼の言葉からもそれがうかがえる)。またこれの前に読んでいたのが谷崎源氏だったというのも当然影響しているだろう。
しかしそんなことはもちろん些細なことにすぎない。少年の世界をこれほど瑞々しく描いた作品は、他にはそうは無いだろう。今から90年も昔の、天城山中の湯が島という小さな村を舞台にしているのだが、不思議なほど自分の子供時代と共通する部分が多い。これは井上靖の子供時代を描いた自伝という枠を超えて、時代も場所も関係のない、普遍的な少年時代を描いた小説に昇華されているように感じた。自分だけでなく、今の子供、北海道でも沖縄でも、もしかしたら外国の子供でも共感できるような、そんな作品なのではないかとも思う。
この作品を愛するもう一つの理由が、この小説の女主人公と言っても過言ではない、おぬい婆ちゃの存在である。自分も洪作同様お婆ちゃん子として育ったため、こういう人物には特に深い共感と懐かしさを感じる(『銀の匙』の伯母さんや『楡家の人々』のばあやなどもそうである)。「婆ちゃが鼠に引かれるで、あすになったら、早く帰っておいで。」というおぬい婆ちゃの言葉があるが、こういう言葉も自分にはどうにも懐かしく、祖母を思い出してしまう(今はこういう言い方は無くなってしまったかもしれないが)。自伝三部作の中で、とりわけ『しろばんば』を好きなのもおぬい婆さんの存在があるからかもしれない。
自分としてはそういう読み方をしたのだが、この作品は(もちろんどんな小説でも感想は千差万別だろうが、この作品は特に)読む人ごとに見えてくる情景が違うのではないかと思う。それぞれの個人的な「少年時代」への鍵、だと言っても良いかもしれない。今後、何度も読み直したい作品である。

34年前にアルバイトしたお金で買ったこの本は240円である。500ページを越す結構分厚い本で、当時の学生食堂のかけうどんが60円だったのを換算すると、今は700円ほどか。

「RKOISO」と本の裏カバーに書いてあるが、何を隠そうこのカバーの絵は、昭和期に活躍した日本を代表する洋画家の小磯良平大先生のものなのである。