大学1年の時に読んだ新潮文庫の「放浪記」を再読した。当時180円だったこの本は今は700円位するのかもしれない。37年ぶりにご対面を果たした。というか、当時、私はこの本を途中で嫌になり投げ出している。 林芙美子 1903-1951
「1918年尾道高女に入学。22年卒業すると愛人を追って上京。翌年婚約を破棄され、日記をつけることで傷心を慰めたが、これが『放浪記』の原形となった。手塚緑敏という画学生と結ばれてから生活が安定し、28年「女人芸術」に「放浪記」の副題を付けた「秋が来たんだ」の連載を開始。30年『放浪記』が出版されベストセラーとなる。」
ほんとうは、この小説は、あまり好きではない。いかにもクサイ。貧乏のなか自力で女学校を出たとはいえ、「当時としてインテリ」であることにはちがいない。そういう臭さがある。「洗練」といわれるらしいのだが。しかし、貧乏人が多い現実では、貧乏体験も売れる小説のネタになる。貧乏は、かなしい。貧乏は、同情をさそう。貧乏であるだけで感傷的、ブンガク的だ。でも、貧乏なだけでは、売れる小説は書けない。林芙美子には、やはり才能があったということか。この時代は、貧乏人だらけ。いまだって?