
清水坂の賑やかな参道を上りきると、目の前に現われたのが仁王門である。桧皮葺き(ひわだぶき)、入母屋(いりもや)造りの楼門で、昔は丹塗りの楼門だったため赤門とも言われる。門の両側に高さ4メートルの仁王様が祀られている。

ここから境内に入ると朱色の三重塔、経堂、開山堂などがあり、本堂が現れる。

これが有名な「清水の舞台」である。寛永10年(1633)の再建といわれる。高さは13メートルあり、堅牢なケヤキの柱78本が支えている。釘は1本も使われていない。国宝である。国宝とは、日本の文化財保護法によって国が指定した有形文化財(重要文化財)のうち、世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるものであるとして国(文部科学大臣)が指定したものである(文化財保護法27条2項)。建造物・絵画・彫刻・工芸品・書籍・典籍・古文書・考古資料・歴史資料などが指定されている。舞台は約8メートルせり出していて、そこからの眺めは眼下に音羽の滝、
錦雲峡、京都市街が一望の下に見渡せる。南方はるかにある補陀洛浄土(ふだらくじょうど)への信仰は、今も深く、篤い。西表島のニライカナイより歴史がありそうだ。
「清水の舞台から飛び降りる」とは、必死の思い、決意を言い表すことわざである。
ところが、この清水の舞台から実際に飛び降りた人も沢山いるのだ。清水の舞台から飛び降りて、補陀洛浄土への旅立ちを願う人たちは、平安時代から存在したと言われる。
もちろん自殺などではなく、観音信仰に根ざした人達である。舞台のあの高さから落ちても、意外と生存者が多い。明治15年に「飛び降り禁止令」が出された後も、多くの人々が、飛び落ちて命を失くしている。そのせいか、舞台の下には霊気のような物がただよっていたのを感じたのは、私だけだろうか。