「本堂」の東側に「東求堂(とうぐどう)」(上の写真:ほぼ南側から撮影)が建っている。 東求堂が完成したのが文明18年(1486年)であり、その後、何回か修復されているようで、昭和になってからも修復されているが、その際、東求堂のあった場所は現在の位置ではない可能性のあることがわかったといわれている。
政治から逃げ出した義政が晩年、諸芸の達人を集め東山文化の集いを開き、茶道、華道、能などの伝統文化を生み出した場所がこの「東求堂」(上の写真:東南側から撮影)であるという。また、この中にある茶室は日本最古のもので、茶室の模範であるとされているようである。「東求堂」は国宝に指定されている。
場所から見て史跡・名勝に指定された庭園に含まれるか否かよくわからないが、東求堂の東側やや高い位置に「お茶の井」とよばれる湧き水がある。この水は足利義政の茶湯に用いられたといわれている。
お茶の井の水質はよく、現在もお茶の会に用いられているというが、見た感じでは何となく薄汚れており、好んで飲みたい水とは思えない。
お茶の井の右手には「漱蘚亭(そうせんてい)石組み」がある。この石組みは相阿弥の築いたものといわれており、西芳寺の竜渕水石組みと類似し、後世の茶室の源流とされてきたという。
境内東側にある高台に上ると展望所があるが、そこから慈照寺の全景を俯瞰できる。
全景写真で左方に見えるのが「銀閣」、中央に「銀沙灘」が見え、その右方に「本堂」、本堂の手前に「東求堂」が見える。横長の屋根の見える建物が「書院」である。
雪に埋まった慈照寺の銀閣もなかなかええもんですなぁ、と私が言うと、それを聞いていた観光客の年寄りの女性が「何?じしょうじ?ああ、銀閣寺の事ね」と東京弁で自分の無知をさらけ出していたが、私は敢えて押し黙っていたのである。