いわずと知れた哲学の道は、観光シーズンともなると、旅行客が引きも切らず押しかける。ところが不思議なもので、ガイドブックに記されていない横道には、ほとんど足を踏み入れていない。だから哲学の道から2~3分ほど外れたところにある大豊神社は、
未だに幽玄なる雰囲気を漂わせているのだ。今日は「わき道発見の旅」と称してまた京都に足を運んだのである。

疎水に架かる小さな桜橋を渡り、山に向かって石畳の参道を歩くと、古びた石の鳥居がある。その奥には小さめの本殿がある。すぐ後ろには、東山36峰のうちの椿が峰が迫っている。かつて大豊神社は、この椿が峰をご神体にしていたと言う事だ。いにしえの日本の神社は、山自体をご神体としていたから、ここには古式ゆかしい神社の原型が残っているのである。
上の写真を見て解るだろうか。本殿右脇の大黒社は、阿吽(あうん)の狛鼠に守られている。野火に遭った大黒を鼠が助けたという神話から、珍しい狛鼠が誕生した。
学問を象徴する巻物と、長寿を意味するお神酒(おみき)を抱えている。

右は日吉社(大津市の日吉神社)の使いで謡曲三番叟(さんばそう)を踊る猿と、
左は愛宕社(上嵯峨の愛宕山にある神社。防火の守護神)の使いである鳶。
本社まで行かなくてもここで拝めばご利益があるというものだ。
鬱蒼とした鎮守の森の中。不可思議な生命力に満ちた神々しい境内を歩くと、汚れきった世間を忘れ、自分の新たな面を発見しそうな気にもなってくる。
狛犬ならぬ狛鼠、猿、鳶などを見ていると、愛嬌があって心も目もなごんでくるのである。こういう京都人も知らないところを見て歩くのが、京都通の通たるゆえんである。